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菅付雅信の編集スパルタ塾 脱落者レポ

転職してから2年が経ち、いよいよ社会人歴も5年目に突入した。長崎に住んでいた期間より、東京での社会人歴の方が長くなった。「コンテンツを作りたかった」という退職エントリを書いてから9ヶ月後、異動・職種の変更があり、現在はもはや編集者という肩書は綺麗に消え去っている。しかし昨年度は「文章」という型にとらわれない「編集」を学んだ1年だった。

 

この1年間、菅付雅信の編集スパルタ塾(第四期)に通っていた。長崎で働いていた頃から内沼晋太郎さんが作る本屋が大好きで、彼が作った下北沢の本屋「B&B」で学びたいと思い続けていた。当時は物理的な距離から断念せざるを得なかったが、転職して東京に戻ってきたこともあり、ようやく安くはない講義料を一括で支払う覚悟ができた。

講師陣は『君の名は。』をプロデュースした川村元気さんや『ブルータス』編集長西田善太さん、『VERY』編集長今尾朝子さんなど、錚々たるメンバーだった。この方々が出す課題に対し、生徒であるわたしたちが企画を考え、指定の期日までにpptを提出。生徒の中から選ばれた者だけが講師の前でプレゼンを行い、講師から直々にアドバイス・ダメ出しをいただける。そしてプレゼンを行った生徒の中から1名が講師から選ばれ、表彰される。まさにスパルタな塾だった。

結論、わたしは途中で挫折した。全24回の講義のうち、参加できた講義が9回。そもそも課題をほとんど出せなかった。異動後の部署での仕事に追われ、毎日終電で帰る生活が続く中、この塾の課題を作り上げることは難しかった。しかし、わたし以外の生徒も多忙を極めていたはずである。登壇生徒の所属企業を聞いてみると、代理店や通信キャリア、医者、有名メーカーなど、皆忙しそうな方ばかり。だが、彼らは毎回作り上げてきていた。素人から見れば溜息が出るほど綺麗な企画書を。

2016年7〜10月にかけて、わたしの仕事はうまくいっているとは言えなかった。仕事もできず、お金を払って通っているはずの塾の課題すら出せず、講義に出席もできず、とにかく行き詰まっていた。優秀すぎる後輩を見て、自分の限界を実感していた。しかし10月、『新潮』編集長矢野優さんの講義。塾への出席は3ヶ月ぶりだし、もちろん課題も出していなかったが、他の生徒の発表は相変わらずめちゃくちゃ面白かった。

そして2017年3月、最終回。課題も出さず、出席率も低いダメ生徒だったが、内沼晋太郎さんが登壇する最後だけは仕事を全部放り投げてでも行こうと決意して、無事参加することができた。最終回の課題は「"編集"を定義せよ」。

この塾に参加するまでは、私の中の「編集者」はあくまでも「あるテーマによって物事を分類し、素材を集めてひとつの媒体を作り上げる人」というイメージだった。しかしこの塾に通うことで、編集の仕事のイメージが大きく拡張されたように思う。本や雑誌、WEBというのはひとつのアウトプットの手段であり、クライアントやテーマ、課題によってその方法も変わる。それは空間やサービスかもしれないし、時間そのものの編集が必要な場合もある。「編集力」が活きるのは仕事だけではない。自分の人生において「何をするか・何をしないか」を決めるのもまた編集である。

ということを、この講義を通して身をもって学んだ。このような塾は、通いきって結果を出した人の受講レポはたくさん出てくる。しかし、私のような脱落者のレポートはほとんど存在しないのではないか。課題すら満足に出せなかった身としては恥ずかしいが、せめて受講料を払った形跡として自分のために残しておこうと思って書いた。

課題も出せず、登壇もできなかったが、所属も職種も違う大人たちがガチ企画を持ち込み、講師の前でプレゼンバトルを行う光景を目の前で見ることができただけでも受講料を払った甲斐があった。仕事忙しいけど通えるかどうか、、と不安に思いながらも「ひとまず受講料払ってから考えよう!」と一歩踏み出した過去の自分と乾杯したい。

 

これからのキャリアで、私に「編集者」という肩書がつくことはもうないだろう。スパルタ塾に通いつつ上司や先輩から仕事を学んだこの1年、今の仕事は「編集者」を名乗りはしないものの、やっていることは「ほとんど編集」だと思っている。いわゆる「紙やWEBの編集」ではない編集の世界を夢見て、今年度は一層仕事に励みます。

 

執筆者備考:13年4月、新卒で通信キャリアの代理店営業として長崎に配属されるも、編集者・コンテンツへの憧れが消えず2年で退職。15年4月に転職し、オウンドメディア編集者に。やっと夢が叶うと思いきや新部署立ち上げのため16年1月に異動・職種変更、今に至る。